妙成寺の歴史
妙成寺(みょうじょうじ)は今から700年余り前に、宗祖・日蓮聖人の孫弟子・日像上人を開祖に建立された寺です。日像は師命により京都に妙法を布教するため佐渡から七尾へ渡ったところで石動山天平寺の座首満蔵法印から招かれます。石動山にて法華の教えを説いきましたが、受け入れられず、暴徒化し日蓮と満蔵法印は襲われ、日蓮と満蔵法印は急いで下山し、命からがら滝谷へと逃げ延びました。日像は鎌倉より携えていた槐の杖を地面に挿し、「この杖より根が生ずるなら、汝この地に法華の寺を建立すべし」と満蔵法印に言い残して京都に向かいました。まもなく杖より根が生え始め、開山を日像、満蔵法印は第二祖として、妙成寺を建立しました。
加賀百万石前田家ゆかりの寺
金榮山妙成寺は北陸地方の日蓮宗総本山です。加賀百万の石前田家が何代にもわたって築いた加賀藩屈指の文化遺産で、藩祖前田利家が能登の大名となって以来、加賀藩の手厚い保護を受け、隆盛を極めた寺になります。このため、凜として建つ五重塔に象徴される能登の名刹として親しまれています。
10棟の重要文化財
五重塔をはじめ、本堂、祖師堂、経堂など10棟が国の重要文化財に指定されています。これらは、現在国宝である瑞龍寺を造営した加賀藩御用大工につながる建仁寺流だ行く集団の優れた技術により建てられました。本堂に向かって右ぐぁに祖師堂、左側に三光堂が横一線に並ぶ伽藍配置は近世以前の日蓮宗寺院の姿を全区子で唯一残しています。現在、石川県初の国宝を目指しています。