万葉集の成立

「古事記」「日本書紀」の上撰から遅れる事60年あまり、770年ごろから780年頃にかけて万葉集が成立しました。掲載されている最古の歌が400年頃の歌だとすれば350年以上の年月の間に作られた歌という事になりますが、作者不詳のものも多く実質的には舒明天皇の時代から約150年間の歌が中心になります。

編纂したのは大伴家持だと言われていますが、4500もの各時代の歌を天皇から一般庶民に至るまで全国各地から集めて編纂されている事を考えると大友家持が中心となりながらも大掛かりなプロジェクトとして編纂されたのだという事は容易に想像できますよね。古事記、日本書紀が歴史書であるのに対し、万葉集は我が国最古の和歌集です。天皇などの権力者の歌では、その時々に起きた出来事の客観的事実だけでなく、当事者としての心情を読み取る事が出来ます。自然の景観や季節、植物などを詠んだ歌も多く、日本人が自然に対してとても感性豊かに接していたのかがわかります。

万葉集を知るという事は、日本人の感性の歴史を知る事でもあります。

万葉集が編纂された時代は、中央集権体制が進み、日本が国としての体制を整えて行った時代と重なります。同時代には万葉集の他に、古事記、日本書紀、風土記、懐風藻も編纂されました。それぞれの特徴を表にまとめてみたので参照してください。

書籍名 どんな書物? 何が書かれている? 誰が作った?
古事記 神話時代から推古天皇(在位593-628年)に至るまでのの伝承や出来事を物語形式で記した古代の歴史書 天地が割れ、日本列島が出来てから神々が生まれ、神の末裔である天皇家を中心とした出来事。前半は因幡の白兎の話などの神話が中心 天武天皇の命により、稗田阿礼(ひえだのあれ)、太安万侶(おおのやすまろ)が約4か月で編纂したとされる
日本書紀 神話時代から持統天皇(在位690-697年)までの出来事を年代ごとに記述した歴史書 神話時代からの記述が始まるのは古事記と同じだが、日本の歴代天皇の系譜と事績が中心。*壬申の乱に関する記述が多い 成立の過程についてはよくわかっていないが、天武天皇の命により舎人親王(とねりしんのう)など多くの人が約40年かけて編纂したとされている
風土記
(ふどき)
日本各地の歴史や文物を記した地誌。律令体制の各国でまとめたもの 律令体制における各国内の地名、土地の産物、土地の状態、地名の起源、土地に伝わっている伝承など。現在まで残っているのは出雲国、播磨国、常陸国、豊後国、肥前国の五カ国 奈良時代に中央政府が各地の国庁に提出を命じて作らせた。国ごとにまとめたもので、日本全体の地誌をまとめたものではない
万葉集 仁徳天皇(4世紀末から5世紀前半)の時代から奈良時代に至るまでの約350年間の和歌を集めた歌集 宮廷を中心とした日々の出来事、恋愛や悲しみ、旅先での歌や自然や四季をめでる歌、下級役人や防人の歌など、幅広い地域と身分に属する人々の歌が収められている 大伴家持が編纂したとされるが、収集した歌の多さ、時代、地域が広範囲である為、家持をトップとした編纂チームが居たと考えるのが妥当
懐風藻
(かいふうそう)
天智天皇(668-672年)から奈良時代中期まで約80年間の漢詩を集めた詩集 中国の六朝(222-589年)から唐の成立(618年)の頃の漢詩を倣って作られた日本人による漢詩。いわば海外の先進文化を取り入れて作られたもの 作者は天皇、皇族、諸王、僧侶など当時の知識階級。編纂者は定かではないが大友皇子の曾孫にあたる淡海三船(おうみ の みふね)と考えられている