万葉集の歴史

万葉集に掲載されている歌が詠まれた時代、編纂された時代と、その頃の出来事を年表形式で見てみます。

万葉集関連年表

万葉集の歴史

万葉集は日本最古の和歌集で、770年頃から780年頃にかけて成立したと推測されています。およそ4500首にものぼる歌は必ずしも同時代のものばかりではなく、最も古い歌は仁徳天皇の時代に仁徳天皇の妃が詠んだ歌だと言われています。万葉集の最終歌は795年に大伴家持が詠んだ歌だとされており、実に300年以上もの歳月に渡り全国各地で詠まれた歌が集められたものです。
万葉集の時代とはどんな時代だったのか、仁徳天皇の時代から万葉集が成立するまでの年表を見ながら世界の動き、日本の動きと合わせてみて行きましょう。

世界の動き

万葉集最古の歌は、仁徳天皇のお妃が詠んだ歌だと言われています。仁徳天皇は実在した事がほぼ確実と言われている最初の天皇で起源300年代の後半から400年代前半にかけての天皇です。この時代、西洋の世界では300年以上の長きに渡り西洋世界を支配していたローマ帝国が崩壊し、ゲルマン民族の移動により西洋に新たな国家が生まれ文化の中心がイタリア半島から今のフランス、ドイツに移っていった時代です。つまり西洋では古代が終わり中世への転換期を迎える時代と重なります。570年頃にはムハンマドが生まれ、今に続くイスラム世界が形成され、万葉集が成立した780年頃にはイスラム文化の黄金時代を迎えています。当時の日本人にとって西洋の国々は知る由もない遠い世界ですが、中国や朝鮮半島での出来事は日本にも密接に関係します。西洋で広大な領土を有した強力なローマ帝国が滅び、より小さな民族国家が成立していくのとは逆に後漢の滅亡後、小国に分裂していた中国ですが、589年には隋が中国を統一し、更に618年には唐が隋を滅ぼし強大な力を持つようになります。日本がまだ倭と呼ばれていた時代から大陸との交流はあり、政治、社会、文化それぞれの面で影響を受けてきましたが、隋や唐の存在は当時の日本には脅威だったと思われます。万葉集には防人の歌という分野がありますが、防人というのは大陸からの脅威に備えて主に九州地方沿岸の防衛の為に東国から駆り出された人々です。

日本の動き

350年頃、大和朝廷が日本をほぼ統一しました。万葉集の最初の歌が300年代後半から400年代前半のものだというのはその事と大きく関わっていると思います。その後の日本史のおおまかな流れを見て行くと、391年に朝鮮半島に渡り高句麗と交戦、478年には倭王武が宋に遣使を派遣して安東大将軍の称号を受けるなど統一国家として相応しい軍事力を有するようになりました。ちなみに倭王武は、万葉集の巻頭を飾る歌の作者雄略天皇と同一人物というのが最近の定説となっています。廐戸皇子の時代には冠位十二階の制定と憲法十七条の制定による中央集権国家を支える官僚組織と法律を、645年の大化の改新では律令体制を確立し、全国の土地と人民を国家のものと定め、地方行政と租税法も確立しました。「日本」という国名も、「天皇」という称号も「大化」という我が国で最初の元号の時に起きた「大化の改新」で初めて正式なものとなりました。つまり万葉集の歌が詠まれた時代というのは日本が統一国家として成り立ち、日本人が民族としてのアイデンティティを確立していった時代とぴったり重なります。大和朝廷が拠点を置いた近畿地方を中心とした文化が日本固有の文化として整えられていったのもこの時代です。710年に平城京に都が移されると、天武天皇の命により「古事記」と「日本書紀」が書かれました。古事記は現存する日本最古の書物で、神話時代から始まる天皇家の歴史が書かれた書物です。日本書紀は古事記より10年ほど遅れて撰上されましたが、こちらも古事記同様神話時代からの歴史を天皇家を中心に書かれたものですが、わが国最古の正史(国家によって公式に編纂された歴史書)です。

645年頃の世界勢力地図